311発災後、3月22日の状況

あまりの惨状にカメラを向けられなかった・・・・
被災地の方々へ、カメラを向けることは出来ませんでした。
それでも、遠くからやっと取れた、写真がこちらです。
こちらの写真は、日和山神社の高台より撮影しました。
中学生のころ、よく来た思い出の場所です。
いつもは、風光明媚な景色が広がっています。
しかし、一面色彩は失われ、まだ海水が残っているところもあります。
この景色を見た時、天変地異とはこのことか・・・・と思えるほど衝撃を受けました。
そして呆然と立ち尽くし、車に戻ると止めどなく涙が溢れ出て、2時間ぐらい泣き叫びました。
311頼もしい自衛隊
この時、車には積めるだけ積んだ物資を運んでました。
そんな中、瓦礫撤去などしていた自衛隊の方々がとても頼もしかったです。
私の車を見ると、安全なようにと誘導してくださいました。
この時の状況はというと、外で活動するには過酷な状況だったのです。
なぜかと言うと、それは、空気が車の中にいても目が痛くなるような刺激と悪臭を放っていたからです。
このような状況下で、活動して下さっている自衛隊に対して、手を合わせずにはいられませんでした。
そして、体験したことのない感情が湧き上がり、時々が涙が溢れ大声で泣きながら車を走らせることもしばしばでした。
311発災10日後の街の風景
廃墟とした街並み。
街も泥の海と化し、人影もありません。
この辺りは、津波の影響で1mぐらい地盤が沈下しました。
しばらく、水が引かない状況です。
この先は、湊方面ですが通行止めでした。
なんとか、ホカロンや食料を目的地まで届けました。
友人宅周辺です。
長靴がないと歩けません。
その長靴も、出ている釘やネジで穴があくことも何度もありました。
3月13日に、初めて来た時よりもだいぶ道が広くなってます。
しかし、悪臭と同時に目が痛くなるほどの刺激が漂っていました。
親戚のビルの前です。
通行止めというか、船が道路を塞いでいるので通れません。
このように、路上に沢山の船が打ち上げられています。
ここは橋を渡ったところです。
よく知っている知人宅の前です。
電柱が折れ、船がここまで流されてきてます。
変わり果てた街並み〜復興への決意〜
故郷石巻が、これほどまで変わり果ててしまいました。
「なんとかしなければ」
そのような思いが、行動を突き動かし「スマイルシード」が出来ました。