【3.11の絆】当たり前が当たり前でなくなった瞬間、それから私たちは

Smild SeedライターのYaah!(ヤーッ!)です。
東日本大震災(以後3.11)直後、「絆」ということが盛んに言われましたね。
今回は、
・なぜ3.11で絆を強く感じたのか
・絆から何を学んだのか
・日常で3.11での学びをどう活かしたらいいのか
などを私の視点で、話しますね。
3.11の絆
絆の意味を辞書で引くと
1、人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。
2、馬などの動物をつないでおく綱。
と出てきます。
3.11での絆とは
「人と人との絶つことのできないつながり。離れがたい結びつき。」のことですね。
特に「絶つことのできないつながり。」
この言葉に共感いたします。
3.11を経験した日本は、改めて
「絶つことのできないつながり」
を認識したのです。
「絶つことのできないつながり」は日本にとどまらず、世界中の人たちが、日本に関心を寄せた瞬間でもありました。
私たちは、3.11の時「一人では生きていない」ことを体感せざるを得ない状況がありました。
3.11それぞれの絆
「絆」は家族から、世界へ大きな繋がりとなりました。
「絆」の最小単位は「家族」ですね。
その輪が、町となり県となり国になるわけです。
3.11によって、その輪がどれほど尊いことなのか、世界的に実感しました。
誰もが心を痛め、かける言葉も見失った時、「絆」こそが救いだったと言えます。
一人じゃない、誰かと繋がっている・・・・
「人と人との絶つことのできないつながり」
がそこに存在していました。
私自身、従姉妹を3.11で無くしております。
やはりこの「絆」に救いを求めました。
どんな言葉よりも、「つながっている」ことに救われたのです。
苦しみの涙を共有してくれる人、痛みを分かちあえる人たちがいました。
時にはそっとしてくれ、時には背中を押してくれたのです。
でも、被災地で見たことや、聞いたことは、私のキャパを遥かに凌駕しました。
人の数だけ「絆」があります。
そして、3.11の時、その絆が一つになった瞬間でもあったと実感します。
2019年、台湾に1週間滞在して分かったこと
3.11の時、世界が日本に援助をしてくれました。
中でも有名なのが、台湾が行った援助ですね。
私は、台湾がどれほど日本に尽くしてくれたのか、実際に台湾に滞在して体験しました。
仕事の関係で、台湾に1週間ほど滞在することになりました。
台湾は、世界一親日であることは知ってました。
しかし、実際に台湾で体験した親日度合いは、想像を超えるものだったのです。
現地で知り合った人たちに、
「3.11では本当にお世話になりました。ありがとうございます」
ということを伝えるようにしました。
3.11の時の台湾の状況を、多くの台湾人の方々から聞きました。
その当時は、全国津々浦々、幼稚園、学校、会社あらゆるコミュニティに、日本を助けようという気運が最高に達したそうです。
義援金はもちろんですが、励ますためのメッセージ動画を作成したり、手紙を書いたり、SNSで呼びかけたり、あるゆる手段を講じて日本を助けるために、動いたとのことでした。
台湾では、今でも電車に乗ると、若い人は年配の方へなんの躊躇もなく、席を譲ります。
また私が、電車でどこで降りて、どう乗り換えていいか分からず困っているときに、近くの青年に尋ねました。
するとその青年は、自分が降りる駅ではないのに、私に同行して電車を降りて、乗り換えのホームまで連れて行ってくれたということがありました。
そしてその青年は、役目を果たすと、スーッと去って行ったのです。
このような感覚が、今でも台湾には存在しています。
この他人を思う気質が、あればこそ3.11にあれだけの援助をしてくれたのだと実感したのです。
ここでも、私が知らなかった「絆」が存在していたのです。
3.11から約8年も経過して、知った日本と台湾の「絆」でした。
3.11で学んだ絆を風化させないために
3.11で学んだこと、教えられたことは数知れません。
そして、学びを生かすも風化させるのも、学びを得た人たちによります。
人は時間とともに、良いことも嫌なことも忘れます。
だから生きていける、とも言えます。
3.11の学びの多くは「失う」ことによっての学びです。
水道が止まり、電気、ガスも不自由になってみて分かったこと。
さらに、家も失い、住む土地さえも失いました。
そして、尊い命までも失ったのです。
この失ってみて学ぶべきものは、何だったのでしょうか。
私はその一つに「感謝」だったのではと思います。
人は感謝を失うと「当たり前」になります。
水があって当たり前
ガスがあって当たり前
電気があって当たり前
家があって当たり前
命があって当たり前
あって当然と思っていたものなので、当たり前になってしまいますね。
しかしそうではなかったことを、教えてくれました。
「感謝」とは「有難い」という言葉でも表せます。
有難いとは、「有り得難い」「有り得ることが難しい」からきてます。
日常の何気ないこととは、見方を変えれば
「有り得ることが難しい」ことの連続です。
水は私たち人類が存在する前から、あります。
ガスも電気もそうです。
これって「有り得難い」と言えませんか?
命に至っては、いくら科学が進歩しても未だに解明されていません。
そのことに気付けることは「有り得難い」ことだったのです。
3.11での学びや教訓を日常の中で、生かす生き方とは「感謝」をして生きることではないでしょうか。
水、空気、電気、家、道路、家族、命あらゆるものに対して「有難い」そう感じることができれば、とても豊かな生き方ではないでしょうか。
私自身、不足や不満を絶えず患うのではなく、「有難い」「ありがとう」を口癖に生きよう!そう願っています。